行き着いたケータイ文化の罪
さて、リハビリとしてTB飛ばしてみますか。
今回の記事エントリは、紅髪の小部屋さんところの「何行以上の文章は読み飛ばしますか」に対するTBです。
基本的に引用して説明するのがあまり好きではないので、詳細に関してはリンク元の記事を読んでもらいたいのですが、この記事を読んだおいらの第一声として「あ−、ケータイ文化の影響だなぁ」と思ったわけです。
まず、自分のこのblogでのスタンスから説明すると、「読みたいやつは読め、読み飛ばすならお好きにどうぞ」というのが自分のスタンスです。だって、この情報過多な時代です。出だしだけ読んで興味が湧かないのなら、最後まで目を通したところで多分時間の無駄でしょう。読ませる引力が足りないおいらが無力なだけの話です。そのため、自分は改行とかはあまり気にはしていません。ただ、段落に関してはある程度気をつけていまして、その次の記事で指摘されていた「間合い」は意識しています。どちらかというと、実際に会って話をしている時の「間合い」に近づくように意識して段落を分けています。
これがmixi日記となると少し変わってくるんだけどね…。ちとあそこはシステム上の問題(制約)が多すぎて、仕方なく書き方のスタイルを変えていたりします。まぁ、それを言ってしまえば小説や脚本を書く時は書き方のスタイルをまた別のものに変えたりするわけなんだしね。頭のモードが切り替わってるんだから、半分無意識にやってる事です。
ちなみに、画面サイズの話とか文章の読みやすさの話に今の議論は向かってるみたいだけど、それはこの問題の本質じゃないし、それを本質だと思ってるなら思慮が浅いと言わざるを得ない。この問題は今の情報過多な社会が抱えている「病理」の問題に通じてくるから。
で、そろそろ本題に入ろう。「ケータイ文化の影響」って話について。
年長者のよくこぼす愚痴として、「最近の若者は我慢ができない」って話はずいぶん前から言われていた。それこそ1990年代とまだパソコン通信全盛だった時代から。でも、パソコン通信の時代は逆だった。むしろ我慢ができる人の方がパソコン通信に対して熱心だったと思う。だから若者全般にはあんまり受け入れられなかったわけだけど…。だって、通信系の新技術がニューメディアって言われていた時代ですよ? ユビキタスの「指」すらないんだから。そんな時代だったんだから、情報源は数少ない書籍と雑誌ぐらいしかなかった。その限られた情報をもとに、誰にも頼れない状況で必死に2400bpsモデムをPC98に接続してATコマンドや電話回線のビジーと格闘していた。
そんな時代だったから、情報の重みがものすごくよくわかった。これはパソコン通信に限らず、UUCPとか常時接続が使えるようになる前の学術系インターネットの文化圏でもそうだったと思う。だから、自然に「限られた資源を有効に活用しよう」という意識が働いた。繰り返すけど、その重みが身に染みてわかっているから。
でも、時代は変わった。インターネットがパソコン通信を超える勢力になる頃には、携帯電話によるコミュニケーション文化が形成され始めていた。携帯電話って、基本的にどこでも使える。さらに昔の携帯電話は機能が少なかったから(ソフトウェア的に)頑丈だった。iTRONとか使っていた時代だもんね。ところが、この信頼性が使う人を堕落させてしまうという皮肉な結果となった。だって、必死に設定しないと使えないパソコン通信やUUCPと違って使えるのが当たり前、壊れたら携帯ショップにクレームすればいいんだから。そういう人たちに対して”情報の重み”なんてものを力説したところで釈迦の説法に過ぎない。もちろん、画面の狭さ、通信速度やメールのバイト数制限とかの要因もあったと思うが、どちらかというと使い勝手の良さの要因の方が大きかったと思う。
平行して第1期Webブームの時期では「テキストサイト」なるWebサイトがはやったりもしたわけだけど…。「侍魂」とか「ちゆ12歳」って言ってわかる人、これを読んでいる人の中でどれだけいるんだろうか? でも、これらテキストサイトの文化といわゆるケータイ文化には案外通じるところがある。さらに言ってしまうと2ちゃんねる系文化(2ちゃんねる以前のアングラ文化含む)にも通じるところがある。だってどれも時間軸で並べると同じ98年〜02年に並ぶんだから。同時期に流行ったという意味では通じる部分があるのは当然だと思う。
そこでの文章の特徴はこんなところだ。
1)長文(改行が少なかったり文章自体が長かったり)は読まない
2)文章を1行開けて書く
う〜ん、厳密に観測していないんで、特徴を列挙せよという話になると難しい。これは今後意識してみて加筆修正したいと思う。ただ、相手は半分無意識にやってると思うんで相応に客観眼は必要になるだろう。
まぁ、特徴の話は置いといて。そろそろこの記事エントリの締めとなる核心に入ろう。というかここまでたどり着かなかった人は「それが答え」なのだが。で、彼らの論理回路を説明すると、要は「めんどくさい」の一言に尽きるわけだ。そこでさっき話をした「最近の若者は我慢ができない」という話に通じてくる。結局の所、戦後60年以上かけて年長者が苦労して築き上げてきた大日本は、21世紀を生きる若者にとって何ら価値がない(重みを感じない)ものだったというのが極論なわけです。
前の記事エントリにも書きましたけど、どれだけ優れたシステムを提供した所で、使う人がそのありがたみを理解できなかったらその価値は大きく落ちるんだよね。人間って堕落する生物だから。弱い生物だから。
自分がblog更新をしなくなったのも、結局はめんどくさかったから。あと、釣りと煽りが横行する2ちゃんねる文化がblog文化でもひきずられているのが嫌だったというのもある。
それともう1つある。反応がないからだ。ただ、ある程度アクセスも頂いてるし、過去にはそれなりに話題になった時期もあった。今でもその時の履歴をたどってここの「空はただ蒼く」にやってきて頂いてるお客さんもいたりする。でも、blog書いてる本人からすればコメントもらったりTBしてくれる方が圧倒的にうれしい。最近はスパムだらけでうんざりしてるけど。
これを最後まで読んでいただけた方にお願い。何かしらの反応を頂けるとうれしいです。それは「更新頑張ろう」という活力になるから。今の世の中で一番恐ろしいのは無関心だから。
最後にマザー・テレサの言葉を。
「『愛』の反対を成す言葉は何だと思いますか?」
「それは、憎しみや怒りではなく『無関心』です」
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